
東京オリンピックの開会式を翌月に控えた1964年(昭和39年)9月21日、国鉄能登線の終着駅として蛸島駅が開業した。線路がさらに延伸されることはなく、開業以来ずっと終着駅であり、能登半島のもっとも奥に位置する駅であった。
本券は蛸島駅が開業35周年を迎えたことを記念して発行されたもので、表面はのと鉄道時代の駅舎とホームの写真からなる図案になっている。写真上には「さいはての駅 蛸島」の文字が載せられていて立地をよく表している。

裏面には「蛸島駅のあゆみ」が記されている。昭和39年に開業したこと、国鉄時代は急行列車が運転され奥能登観光の玄関口として賑わったこと、のと鉄道に移管されたことなど、35年間の出来事が簡潔にまとめられている。
そして現在の蛸島駅として「鉢ヶ崎海岸リゾート構想によるリフレッシュ村鉢ヶ崎の最寄り駅となり、あらたな役割を歩み始めました。」とある。あらたな役割とは未来を感じさせるものであるが、この記念乗車券の発行からわずか5年後、2005年(平成17年)4月1日に能登線もろとも廃止されてしまった。

蛸島駅には子ども時代の忘れられない出来事がある。能登線を完乗するために母と訪れたのだが、到着して駅舎の写真撮影などしていたら、乗車予定の折り返し列車に乗り遅れてしまったのだ。次の列車まで2時間くらいあっただろうか、列車本数の多い珠洲ならもっと早くにあるかもしれないとの期待を込めて、真夏の暑いなか2駅先の珠洲駅まで歩いて向かった。当時はどうなってしまうのか途方に暮れたけど、いまではいい笑い話になっている。
そんな思い出の蛸島駅が廃止されたのは残念だけど、いまも駅舎やホームは残されているという。二度と鉄道で訪れることは叶わないけど、いつの日にか代替で運行されているバスで訪れ、あの日のように歩いてみたいと思っている。

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